大判例

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東京高等裁判所 昭和35年(う)2962号 判決

被告人 田中健治

〔抄 録〕

所論は、原判示3の第二及び第三の各事実につき事実誤認を主張するものである。

(一) 原判示3の第二の事実について。

原判決挙示の証拠を総合すれば、被告人は原判示のとおり、昭和三十年五月二十四日から昭和三十二年三月二十六日まで外塚病院に入院していたが、同日東京労災病院に転医し、同年五月二十五日同病院を退院したものであつて、被告人が右のように外塚病院より東京労災病院に転医することになつたのは、外塚病院においては入院が既に二年近くになつたが従来以上に施す治療の方法もなかつたので、専門病院である東京労災病院において治癒の見込の有無及びその見込がない場合に障害補償費の支払を受けるのに必要な身体障害の等級を決定して貰つた方がよいという配慮に出たものであつて、被告人としても右のことは外塚病院における主治医であつた佐藤修医師の説明その他により充分承知し、東京労災病院に転医した当初より身体障害の等級決定には深い関心を有していたこと、外塚病院入院中の医師の側より見た被告人の傷病の推移は、やや正確を欠くきらいがないではないが、概ね原判示のとおりであつて、転医に際して佐藤修医師が付した傷病名は第一、第二腰椎の圧迫骨折及び神経麻痺というのであり、当時としては背髄損傷の傷病名はなく、背髄損傷の傷病名が付されたのは東京労災病院においてであること、東京労災病院においては、入院後間もなくの頃と退院直前頃に整形外科部長松林誠之助医師が、退院に際しては三原鏡医師が、それぞれ被告人を検査診断して、その結果はいずれも診療録に記録せられており、所轄の渋谷労働基準監督署の依頼により同監督署に提出された昭和三十二年六月二十六日付医師松林誠之助作成名義の身体障害等級認定に関する意見書は、松林医師が右同日診療録記載の検査診断の結果を総合判定して記載したもので、右意見書においてはじめて正式に背髄損傷という傷病名が付せられており、被告人が東京労災病院を通じて昭和三十二年七月八日渋谷労働基準監督署長に提出した労災保険障害補償費請求書中の医師の意見欄記載の傷病名を第一、二腰椎圧迫骨折兼背髄損傷と表示した熊坂悟医師の意見は、松林医師の命を受けた熊坂医師が同年六月二十六日松林医師作成の前記等級認定に関する意見書のほか診療録記載の東京労災病院における検査診断の結果全部及び同診療録第一頁裏に記載してある外塚病院の第一、二腰椎圧迫骨折との意見を総合して記載したものであつて、要するに、これらの根幹になつているものは前記松林、三原両医師の検査診断であること、松林医師及び三原医師はいずれも各種反射検査、知覚検査、運動障害検査等をして他覚症状をたしかめており、松林医師の場合はそのほかにレントゲンによる透視検査及び造影剤の背髄通過状況の検査もしているのであつて、それぞれ専門家として被告人の傷病の実体を確めるために一応必要とみられる手段をとつていることは疑いないのであるが、右両医師が被告人の自覚症状として理解したところが被告人の主訴に基ずくものであることは勿論のこと、他覚症状を把握するのについても被告人の応答するところ乃至はその示す外観が重要な役割を果すものであるところ、被告人は、身体障害の等級を自己に有利なように決定させてより多額の障害補償費の支払を受けることを企て、前記松林、三原両医師の検査診断を受けた際、単に症状を誇張して訴えたという程度ではなく、当時被告人自身としては、少くとも、左下肢は普通人同様に歩行ができる程度に運動が可能であつて右足も自力運動が全く不可能という程ではないことは判つていたのに、尿は失禁して臍部以下の知覚がなく、右下肢は麻痺してブラブラであり、右下肢は自動運動が不能であるなどと虚構のことを訴えると共にこれに相応する外見を示して、両医師をして真実右のような症状にあるものと誤信させたこと、当時被告人の左下肢が普通人同様に運動可能であつて、右下肢も全然自力運動のできないものではなく、被告人自身としてもこれを知つていたことは、原審第十八回公判における証人望月重子の供述によつて明らかな昭和三十二年二、三月頃被告人が当時外塚病院において被告人の付添婦をしていた望月重子をその旅行先の静岡県富士市に訪ねて行つた際同市内において大分よくなつたと云つて同女の面前で松葉杖を離し一人で二、三歩歩いて見せたことがある事実並びに原審第十二回公判における証人奥山元次郎及び同第十三回公判における証人鎌田登の各供述によつて明らかな被告人が東京労災病院を退院直後の昭和三十二年五月二十九日夜、右脇に松葉杖をついて右足を引きずるようにしてではあるが一人で歩いて世田谷警察署本村派出所に現われ、同派出所の附近を歩行したことがある事実に徴しても疑いのないところと認められること、渋谷労働基準監督署長大塚尚文が被告人を第一級第九号の障害補償費の受給資格のあるものと認定して被告人に金額七十七万八千五十八円の小切手一通を交付したのは、全く前記松林医師の意見書及び熊坂医師の意見記載を真実に合致するものと誤信した結果であること等を認めることができ、これを要するに、原判示第二の事実はすべてこれを認めるに充分である。

所論は、被告人は東京労災病院入院中は松葉杖を使用して病院内を歩行しておりその事実は病院の関係者は医師をも含めてすべて知つていたことであるという趣旨に理解される主張をしているが、原判決挙示の証拠によれば被告人が時として同病院内を松葉杖を使用して歩行したことのあつたことは事実であり、看護婦及び同室の入院患者等が右の事実を知つていたことは認められないではないが、松林、三原両医師としては、被告人が松葉杖を使用して自力で歩行するところを実見したことはなく、その外見から推して両松葉杖を使用して歩くというよりは両足をブラブラさせて移動することはできるという程度に理解していたものであることが認められ、当審における証人松林誠之助及び同宮川静江の各供述によつても右認定を左右することはできない。従つて、被告人が東京労災病院内において松葉杖を使用して自力で歩行していた事実があつても、右のことは原判示のとおりに認定するについてなんら妨げとなる事柄ではない。

所論はまた被告人は病者の心理からいくらか症状を誇張して述べたことはあるとしても積極的に病状を詐欺したことはなく、松林医師らが被告人には実際は背髄損傷の傷病はなかつたのにこれがあるもののように診断してその旨の意見を付したものとすれば、それは同医師らの未熟未経験乃至は検査の粗雑に因るかさもなくば疑問を抱きながらも被告人に同情して被告人の利益になるように意見を付したかのいずれかであるというが、証拠上その当らないことは前段説明のとおりである。尤も、当審における証人松林誠之助の供述によれば、松林医師としては、前記等級認定に関する意見書中に「背髄損傷としては定型的でない」との一句を付加記載していることによつても知られるとおり、被告人の傷病名を背髄損傷とするについては釈然としない点がなかつたわけではなく且つまた医師として被告人の利益になるように意見を記載しようとの意識が働かないでもなかつたものであることは認められるが、右のことは、いずれも、被告人の主訴応答等がすべて真実に即してなされているものと信じて疑わず、医師として良心的にこれを尊重したがためであることは、その供述全体に徴して明らかなところであるから、これらのことも、原判示のとおりに認定するについて妨げとなることではない。

(二) 原判示3の第三の事実について。

右事実は、被告人自身も原審第二十一回公判において「やる気でやつたことである」と述べて、当初から労災保険法による障害補償費を騙取する目的で計画的に進めたことであることを認めており、これをも含めて原判決挙示の証拠を総合すれば、原判示第三の事実はすべて優にこれを認めることができ、当審における事実の取調の結果を参酌しても、原判決の認定が誤つているものとは認められない。

所論は、この事実についても、被告人は病者によくその例があるように多少症状を誇張して述べたことはあつても積極的に欺罔手段を用いたことはなく、各病院においては担当医師があらゆる精密検査をしたのであるから、実際は背髄損傷の傷病がなかつたのにこれがあるように意見を記載したものとすれば、それは前記東京労災病院の場合と同様に、当該医師の未熟未経験に因るか、さもなくば当該医師が被告人をしてより多額の障害補償費を取得させようとの配慮から故意に左様に記載したかのいずれかであつて、被告人の欺罔行為に因るものではないと主張する。

しかし、原判決挙示の証拠によれば、特に、昭和医科大学病院においては、腱反射及び知覚、触覚検査以外にレントゲンによる透視検査、背髄液の検査、背髄造影法による検査をしたことが認められるほか、当審における証人上村正吉の供述によれば、筋電図による検査もしたことが認められるのであるが、以上のような検査をした場合においても、傷病の有無及び性格を決定するについて被告人の主訴及び各種検査に際して応答するところ並びに被告人の動作及び外見が重要な役割を果すものであることは否定できないところであり、被告人が原判示の中村、渡辺各医師並びに東京労働基準局の久保田医員に対し両下肢が麻痺し下半身が動かないなどと訴え、それに相当する外見、態度を示していたことが虚構のことであることは、原判決が証拠として挙示する中村キクエの検察官に対する昭和三十三年十一月二十六日付及び同二十七日付各供述調書、菊地ちよの検察官に対する昭和三十三年十一月十八日付及び同三十四年一月二十九日付各供述調書、清水スヱ、小沼登利徳、浅利恵子、深野辰雄の各司法警察員に対する供述調書、石原幸雄の事実答申書並びに証人鳥羽とし子の原審公判における供述によつて明らかな被告人の以下の行動、即ち、被告人が目黒病院に入院の当初看護婦に背負われてレントゲン室に行く際寝台の上に自力で起き上つて看護婦の背中に乗つたこと、目黒病院入院中二階の電話室において机の上に腰をかけて電話をかけていたこと、昭和三十二年十二月二十四日中村信男宅のパーテイに出席してビールを飲み深夜目黒病院の病室に帰つた際先に室内に入つていた菊地ちよ等に引き上げて貰つてではあつたが石原幸雄の肩の上から窓につかまり窓から室内に入つたこと、昭和三十二年十一月末頃東京都渋谷区宇田川町所在の岩崎旅館に菊地ちよと共に行つた際二階へ上る階段を一人で上つたこと、目黒病院の個室にいた際菊地ちよと肉体関係を持つたほか菊地ちよの背中を足で強く蹴つたこと、昭和三十三年二月下旬同都杉並区和泉町所在のアパートに転居した際引越荷物の火鉢を一人で両手に持つて運んだこと等、両下肢が麻痺し下半身が動かないことが事実であるとすれば到底することができない筈の幾多の行動を被告人が当時していることに徴しても疑いないところであると認められ、当審における事実の取調の結果によつても原判決の認定を覆えすに由のないところである。尤も、原判決挙示の証拠のうち、原審証人渡辺康の供述、上村正吉の司法警察員に対する供述調書、久保田栄の司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに徳江正吉の検察官に対する供述調書によれば、昭和医科大学病院の渡辺医師ら及び品川労働基準監督署の係官は、いずれも、被告人は当時未だ僅かに四ケ月間労災保険法による療養をしただけであつて、なお相当期間同法による療養を続けることができる筈のものであると考えていたため、症状の固定したものとして被告人の申し出る侭に療養を打ち切らせて障害補償費を支払うことについては、一応時期尚早ではないかと考えたのであるが、昭和医科大学病院の医師としては、被告人の内妻菊地ちよより原判示のとおりの申出を受けたため、また品川労働基準監督署の係官としては、被告人の依頼を受けた国会議員等からの陳情督促を受けたため、それぞれ処理を急いだものであつて、その間に多少慎重さを欠いた点のあつたことは窺われないではないが、かかる事実は、もとより原判示のとおりに認定するについて妨げとなる事柄ではない。

論旨はすべて理由がない。

(高野 上野 今村)

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